連想クイズ
連想クイズ わたしは誰でしょう 町並みと乗りものと生きもの
花の咲く木、昔話の主人公、乗りもの、鳥、焼きものの置物、家、歴史上の人物、乾物、生きもの、石の橋が「わたし」になって、4つのヒントで自分のことを話す連想クイズです。ヒントは1つずつ区切って読み上げ、最後まで読んでから選択肢を出すと、途中で分かった方も声を出しやすくなります。かっこの中は読み方です。全10問、全問に声かけ例が付いています。
10問・3択・約20分|全問に声かけ例つき
第1問
わたしは、春に花を咲かせる木です。エドヒガンとオオシマザクラという2つの桜から生まれました。江戸時代の終わりに、江戸から広まりました。花つきがよく、早く育つので、いまでは花見の桜の代表になっています。わたしは何でしょう?
- 1ソメイヨシノ
- 2ヤマザクラ
- 3シダレザクラ
こたえ1 ソメイヨシノ
解説
ソメイヨシノです。エドヒガンとオオシマザクラの雑種から生まれた桜で、花は淡い紅色の一重咲きです。名前は、江戸時代の終わりに、江戸の染井村から「吉野桜」の名前で広まったことにちなみます。
声かけ例
「桜のつぼみがふくらみはじめると、このあたりでは、どんな話がまわりで交わされていましたか?」
第2問
わたしは、昔話の主人公です。生まれたとき、夕日の滝の水を産湯(うぶゆ)に使ったと伝えられています。大きくなって、源頼光(みなもとのよりみつ)の家来になりました。足柄山(あしがらやま)で、山の動物たちを遊び相手に、人一倍元気に育ちました。わたしは誰でしょう?
- 1浦島太郎
- 2一寸法師
- 3金太郎
こたえ3 金太郎
解説
金太郎です。家来になってからは坂田金時(さかたのきんとき)と名前を改め、源頼光の四天王の一人として、その名を天下にとどろかせたと伝えられています。神奈川県南足柄市の地蔵堂(じぞうどう)地区には、金太郎が生まれた家の跡や、産湯をつかったと伝わる夕日の滝、金太郎が登って遊んだという「かぶと石」「たいこ石」があります。
声かけ例
「子どものころ、近所に人一倍元気な子がいると、大人たちはどう声をかけましたか?」
出典: 金太郎伝説(神奈川県南足柄市)
第3問
わたしは、乗りものです。明治28年に、京都で走りはじめました。琵琶湖疏水(びわこそすい)の水が止まる日は、わたしも走れませんでした。道路にしかれた線路の上を、電気の力で走りました。わたしは何でしょう?
- 1蒸気機関車
- 2路面電車
- 3乗合バス
こたえ2 路面電車
解説
路面電車です。明治28年(1895年)、京都に日本で初めての路面電車が走りはじめました。電気は琵琶湖疏水の水力発電でまかなっていました。開業の半年後には、旗や提灯を持った少年が電車の前を走って、「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と知らせていたそうです。京都の市電は昭和53年まで走り、路面に敷かれていた石は、二年坂や哲学の道の石畳に使われています。
声かけ例
「古くなった家の柱や石は、このあたりでは、どう別のところで使われるものでしたか?」
第4問
わたしは、鳥です。水辺や湿地で、ドジョウやカエルをとって食べます。明治時代には、羽をとるためにたくさんとられて、数が大きく減りました。わたしの学名は「ニッポニア・ニッポン」です。わたしは何でしょう?
- 1コウノトリ
- 2トキ
- 3ライチョウ
こたえ2 トキ
解説
トキです。昭和27年に特別天然記念物になり、新潟県の佐渡で、保護と人の手による繁殖が続けられてきました。平成20年からは佐渡島で野に放す取り組みが始まり、令和8年5月には、石川県で、本州で初めて放されました。
声かけ例
「昔はたくさんいたのに、だんだん見かけなくなった鳥や虫のことは、まわりでどう話されましたか?」
第5問
わたしは、焼きものの置物です。11月8日は、「いい八」の語呂合わせで、わたしの日です。昭和天皇をお迎えしたこともあります。滋賀県の信楽(しがらき)の焼きもので、大きな笠をかぶり、手には とっくりと通い帳(かよいちょう)を持っています。わたしは何でしょう?
- 1たぬき
- 2招き猫
- 3福助(ふくすけ)
こたえ1 たぬき
解説
たぬきです。昭和26年に昭和天皇が信楽を訪れたとき、日の丸の旗を持ったたくさんのたぬきが沿道に並んでお迎えしました。そのようすを詠まれた天皇の歌が報じられて、信楽焼のたぬきは一躍全国に知られるようになりました。笠は災難から身を守る備え、通い帳は信用を大切にする商売の基本、笑顔は愛想よく接して商売繁盛につなげることを表すといわれます。
声かけ例
「顔なじみのお店とのつき合いは、このあたりでは、どんなふうに続いていくものでしたか?」
第6問
わたしは、家です。屋根裏をいくつもの階に分けて、蚕(かいこ)を育てる場所に使ってきました。重い雪がたくさん積もる土地なので、茅(かや)ぶきの屋根は急な傾きになっています。白川郷(しらかわごう)では、手のひらを合わせたような山形の屋根が並びます。わたしは何でしょう?
- 1曲り家(まがりや)
- 2町家(まちや)
- 3合掌造り(がっしょうづくり)
こたえ3 合掌造り(がっしょうづくり)
解説
合掌造りです。白川村では、幕末から昭和のはじめにかけて養蚕が暮らしを支え、屋根裏を2〜4層に分けて蚕を育てていました。家は南北に向けて建てられ、風を受けにくく、屋根に当たる日の光を調節して、夏は涼しく、冬は暖かく保たれるようになっています。昭和10年に訪れたドイツの建築家ブルーノ・タウトがほめたたえたことで、広く知られるようになったといわれます。
声かけ例
「暑い日や寒い日、家の中で人が自然と集まるのは、どのあたりでしたか?」
第7問
わたしは、江戸時代の人です。いまの千葉県香取市の佐原(さわら)で、酒造りなどの家業や、名主の仕事にはげみました。家をゆずって隠居したあと、50歳で江戸に出て学びはじめました。55歳から71歳まで、日本中を測量してまわりました。わたしは誰でしょう?
- 1伊能忠敬(いのうただたか)
- 2松尾芭蕉(まつおばしょう)
- 3間宮林蔵(まみやりんぞう)
こたえ1 伊能忠敬(いのうただたか)
解説
伊能忠敬です。日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人です。その地図はとても正確で、ヨーロッパでも高く評価され、明治からあとも国内の地図のもとの一つになりました。佐原には、17歳から49歳までの約30年を過ごした家が、いまも残っています。
声かけ例
「歩いて出かけるのが当たり前だったころ、このあたりでは、道の遠さをどんなふうに言い表していましたか?」
第8問
わたしは、乾物(かんぶつ)です。いまでは、ほとんどが栃木県で作られています。のり巻きや昆布巻きに欠かせません。ウリのなかまの「ゆうがお」の大きな実を、ひものように細長くむいて、干して作ります。わたしは何でしょう?
- 1切り干し大根
- 2干ししいたけ
- 3かんぴょう
こたえ3 かんぴょう
解説
かんぴょうです。栃木県での始まりは、壬生(みぶ)藩の殿様の鳥居忠英(とりいただてる)が、1712年に、いまの滋賀県甲賀(こうか)市の水口(みなくち)藩から、ゆうがおの種を取り寄せたことだといわれます。むいたゆうがおを干す風景は、栃木県の夏の風物詩になっています。
声かけ例
「のり巻きが食卓に出る日は、ご家庭のようすが、どんなふうにふだんと違っていましたか?」
第9問
わたしは、生きものです。飼われているのではなく、野生の動物として、国の天然記念物になっています。春日大社(かすがたいしゃ)の神さまは、白いわたしに乗ってやって来たと伝えられています。奈良公園で暮らし、米ぬかと小麦粉でできた「せんべい」が、わたしのおやつです。わたしは何でしょう?
- 1シカ
- 2ニホンザル
- 3イノシシ
こたえ1 シカ
解説
シカです。奈良公園にシカがいたことは、奈良時代の万葉集にも書かれています。令和8年7月の調べでは、オスが411頭、メスが990頭、子どもが286頭の、あわせて1,687頭でした。シカが届く高さの枝や葉を食べるので、公園の林は、およそ2メートルより下に枝のない、見通しのよい林になっています。
声かけ例
「軒先に来る鳥やのら猫に、このあたりの人たちは、食べものをどう分けてやるものでしたか?」
第10問
わたしは、石でできた橋です。江戸時代の寛永(かんえい)11年に、中国から来たお坊さんが架けたと伝えられています。日本で最初の、アーチ型の石の橋です。長崎の中島川(なかしまがわ)にかかっています。わたしは何でしょう?
- 1日本橋(にほんばし)
- 2眼鏡橋(めがねばし)
- 3通潤橋(つうじゅんきょう)
こたえ2 眼鏡橋(めがねばし)
解説
眼鏡橋です。架けたのは、長崎の興福寺の2代目の住職で、中国から来た僧の黙子如定(もくすにょじょう)と伝えられています。そののち、石橋の手本として全国から注目されました。江戸の日本橋、岩国の錦帯橋とともに、日本三橋の一つに数えられています。
声かけ例
「橋の上を通るとき、子どもたちは、そのころどんなふうに寄り道したり遊んだりしていましたか?」
声かけ例の使い方
正解を言ったあとに、そのまま読み上げてください。答え合わせで終わらせず、その場の会話につなげるための一言です。 知識を問い直すのではなく、その方の経験を聞く形にしてあります。正解・不正解には触れないので、外した方にも同じように聞けます。
このサイトのクイズは、脳トレや会話のきっかけとして使うものです。認知症の予防や治療の効果をうたうものではありません。