連想クイズ
連想クイズ わたしは誰でしょう 学校のはじまりと暮らしの道具
師範学校、東京大学、学制、幼稚園、鉛筆、除虫菊、国定教科書、図書館、白熱電球、万年時計が「わたし」になって、いくつかのヒントで自分のことを話す連想クイズです。ヒントは1つずつ区切って読み上げ、最後まで読んでから選択肢を出すと、途中で分かった方も声を出しやすくなります。かっこの中は読み方です。全10問、全問に声かけ例が付いています。
10問・3択・約20分|全問に声かけ例つき
第1問
わたしは、先生を育てる学校です。明治5年に、東京で開くことが知らされ、8月に生徒が入り、9月から授業が始まりました。小学校で教える人を育てるのが目的で、アメリカ人のスコットが教えました。わたしは何でしょう?
- 1寺子屋(てらこや)
- 2師範学校(しはんがっこう)
- 3藩校(はんこう)
こたえ2 師範学校(しはんがっこう)
解説
師範学校です。明治5年(1872)に東京に開くことが知らされ、8月に生徒を入れ、9月に授業が始まりました。小学校の先生になる人を育てる学校で、最初の外国人教師はアメリカ人のスコットでした。
声かけ例
「子どものころ、学校の先生が近所に来ると、まわりはどう動きましたか?」
第2問
わたしは、学問を深める学校です。明治10年の4月12日に、東京開成学校(とうきょうかいせいがっこう)と東京医学校(とうきょういがっこう)が合わさることが発表されました。法学部・理学部・文学部・医学部の4つの学部がありました。わたしは何でしょう?
- 1東京大学(とうきょうだいがく)
- 2京都大学(きょうとだいがく)
- 3早稲田大学(わせだだいがく)
こたえ1 東京大学(とうきょうだいがく)
解説
東京大学です。明治10年(1877)4月12日に、東京開成学校と東京医学校を合併して、東京大学と称するという布達が出されました。法学部・理学部・文学部・医学部の4つの学部でした。
声かけ例
「学校を出て旅立つ人がいるとき、このあたりでは、見送る側はどう声をかけていましたか?」
第3問
わたしは、明治5年に出された、学校の仕組みを決めた決まりです。国を8つの大学区に分け、その中を256の中学区に、さらに小学区に分けて、小学区ごとに小学校を1つ置く計画でした。わたしは何でしょう?
- 1教育勅語(きょういくちょくご)
- 2小学校令(しょうがっこうれい)
- 3学制(がくせい)
こたえ3 学制(がくせい)
解説
学制です。明治5年(1872)8月に出され、全国を8つの大学区、256の中学区、各中学区を210の小学区に分けて、小学区ごとに小学校を1つ置く計画でした。小学校は、およそ53,760校の計画でした。
声かけ例
「このあたりの小学校で運動会が近づくと、まわりは何から落ち着かなくなりましたか?」
第4問
わたしは、小さな子どもが通うところです。明治9年の11月に、東京女子師範学校の付属として開かれました。ドイツのフレーベルの方法にならって、歌や体操や遊びを取り入れていました。わたしは何でしょう?
- 1寺子屋(てらこや)
- 2幼稚園(ようちえん)
- 3塾(じゅく)
こたえ2 幼稚園(ようちえん)
解説
幼稚園です。明治9年(1876)11月に、東京女子師範学校の付属幼稚園が開かれました。フレーベルの方法にならったもので、明治10年の幼稚園規則では、3歳以上6歳以下の子どもを預かり、保育は1日4時間でした。
声かけ例
「幼いころ、小さな子どもたちが集まると、どんなふうににぎやかになるものでしたか?」
第5問
わたしは、字を書く道具です。明治20年に、眞崎仁六(まさきじんろく)が東京の内藤新宿で製造所を開きました。明治34年には「初めての国産」として逓信省に納められ、明治36年には「三菱」の名前が登録されました。わたしは何でしょう?
- 1筆(ふで)
- 2石筆(せきひつ)
- 3鉛筆(えんぴつ)
こたえ3 鉛筆(えんぴつ)
解説
鉛筆です。明治20年(1887)に眞崎仁六が東京の内藤新宿で眞崎鉛筆製造所を開き、明治34年に逓信省へ「初めての国産鉛筆」を納めました。明治36年には、納めた3種を記念して「三菱」のブランドが登録されました。
声かけ例
「子どものころ、字を習っている子のそばでは、まわりはどんなようすでしたか?」
出典: 三菱鉛筆のあゆみ(三菱鉛筆)
第6問
わたしは、草花です。明治18年に、金鳥(きんちょう)の創業者の上山英一郎(うえやまえいいちろう)が、わたしの種を手に入れました。そのころの日本には、まだわたしを育てているところはありませんでした。のちにわたしを原料に、世界初の蚊取り線香が作られました。わたしは何でしょう?
- 1ハッカ
- 2除虫菊(じょちゅうぎく)
- 3ヨモギ
こたえ2 除虫菊(じょちゅうぎく)
解説
除虫菊です。金鳥(大日本除虫菊)の創業者の上山英一郎は、明治18年にH・E・アモアと会って除虫菊の種を手に入れました。そのころの日本では育てられておらず、この花を原料に、世界初の蚊取り線香が作られました。
声かけ例
「夏の夜に蚊が飛んでくると、ご家庭ではどんなやりとりになりましたか?」
出典: 金鳥の渦巻(金鳥・大日本除虫菊)
第7問
わたしは、学校で使う本です。明治35年に、学校で使う本を選ぶことをめぐる不正が明るみに出ました。そのため、明治36年には国が著作権を持つことが決まり、明治37年から、国語読本や日本歴史や地理などのわたしが使われ始めました。わたしは何でしょう?
- 1国定教科書(こくていきょうかしょ)
- 2検定教科書(けんていきょうかしょ)
- 3寺子屋の往来物(おうらいもの)
こたえ1 国定教科書(こくていきょうかしょ)
解説
国定教科書です。明治35年に教科書の採択をめぐる不正(贈収賄)が摘発され、明治36年の小学校令の改正で、小学校の教科書は文部省が著作権を持つことになりました。明治37年から国語読本・書き方手本・修身・日本歴史・地理が使われ始めました。
声かけ例
「小さいころ、子どもたちが声をそろえて何かを読む声は、まわりにどう聞こえていましたか?」
第8問
わたしは、本を集めて、人に見せる場所のはじまりです。明治5年の4月に、文部省が東京の湯島にある博物館の中に建てて、一般に公開しました。そのころは「書籍館(しょじゃくかん)」と呼ばれました。わたしは何でしょう?
- 1貸本屋(かしほんや)
- 2図書館(としょかん)
- 3博覧会(はくらんかい)
こたえ2 図書館(としょかん)
解説
図書館です。明治5年(1872)4月に、文部省が東京湯島の博物館内に「書籍館」を建てて、一般に公開しました。明治8年4月には、東京書籍館と改称されています。
声かけ例
「本を読むのが好きな人は、このあたりではどんなふうに見られていましたか?」
第9問
わたしは、あかりの道具です。明治23年の4月に、藤岡市助(ふじおかいちすけ)が三吉正一(みよししょういち)といっしょに「白熱舎(はくねつしゃ)」を創設して、本格的な製造を始めました。わたしは何でしょう?
- 1白熱電球(はくねつでんきゅう)
- 2ろうそく
- 3ガス灯(がすとう)
こたえ1 白熱電球(はくねつでんきゅう)
解説
白熱電球です。明治23年(1890)4月に、藤岡市助が三吉正一と「白熱舎」を創設して、本格的な電球の製造を始めました。エジソンの発明から10年後に、日本で初めて国産の電球が点灯されたと紹介されています。
声かけ例
「夜になって部屋にあかりがともると、ご家庭では何から始まりましたか?」
第10問
わたしは、江戸時代の終わりごろに作られた、機械じかけの和時計です。田中久重(たなかひさしげ)が、嘉永3年(1850)から翌年にかけて作りました。六つの面に、二十四節気や月の満ち欠けなどが同時に表されます。2006年には国の重要文化財になりました。わたしは何でしょう?
- 1日時計(ひどけい)
- 2砂時計(すなどけい)
- 3万年時計(まんねんどけい)
こたえ3 万年時計(まんねんどけい)
解説
万年時計(万年自鳴鐘)です。「からくり儀右衛門」こと田中久重が、嘉永3年(1850)から翌年にかけて設計・製作した機械式の和時計で、六面の時計を同時に動かし、二十四節気や月の満ち欠けなども表します。2006年に国の重要文化財に指定されました。
声かけ例
「月の明るい夜、このあたりでは、外にどんな気配が漂っていましたか?」
出典: 万年時計(東芝未来科学館)
声かけ例の使い方
正解を言ったあとに、そのまま読み上げてください。答え合わせで終わらせず、その場の会話につなげるための一言です。 知識を問い直すのではなく、その方の経験を聞く形にしてあります。正解・不正解には触れないので、外した方にも同じように聞けます。
このサイトのクイズは、脳トレや会話のきっかけとして使うものです。認知症の予防や治療の効果をうたうものではありません。